先生になろうとしている人は,いい人が多いと思います。
教職はブラックだという印象が根付いているので,収入が安定しているからという理由で教職を目指す人は少ないでしょう。
親切な人が多いからついつい生徒に優しくしすぎることがあります。
クレームが発生した時の対応や,クレームを防ぐための対応を書いていきます。

自己紹介
まず気にするクレームか,気にしないクレームかを判断する
クレームには正当なもの,不当なものがあります。
すべてを聞き入れて対応する必要はありません。
その判断基準を書いていきます。
保護者は期待にそぐわない時にクレームを言う
「当然に学校がやってくれる」と保護者が思っていたことを,学校がやらなかったときにクレームが発生しやすいです。
客観的に学校が負うべき業務か否かは必ずしも一致しません。
期待に届かなかったときにクレームになりやすいのです。
クレームの内容が学校の業務なら対応をする
学校がやるべきことをやっていなかったなど,学校側に否があるときはできるだけの対応をします。
もちろん,問題の大きさによっては管理職との相談も必要になるでしょう。
必ずしも学校が負うべき業務ではない場合
まずは保護者が不満に思っていることを理解していると伝える。
クレーム対応の鉄板ですね。
「保護者の方のお考えはわかりました」といったフレーズになるかと思います。
次に本来学校が負うべき業務ではないことを説明します。
中には食い下がってくる人もいるかもしれませんが,保護者が理解しても,理解できなくても気にする必要はありません。
最後に善意として折衷案を提示できる場合はします。
これはケースバイケースでしょう。

とは言っても,クレームを気にしなくなるまで心の訓練が必要です
学校はクレームを言ってきた人とも,生徒が卒業するまではかかわらなければいけません。
それが心労につながります。
また,良い人ほど「なんとかしてあげたい」と無理をしてしまいがちです。
他人に期待をしないで人と付き合うくらいの気持ちになれば,自分が落ち着いた精神状態になるかもしれません。
そもそも最初から先生が無理をして,期待させないこと
善意でやり続けたことが,当たり前ととらえられてしまうことが往々にあります。
当たり前の善意が,例えば忙しくなってできなくなったり,担当者が変わったりしたら,できなくなってしまいます。
初めから頑張りすぎて変に期待させないことも考えたほうがいいでしょう。
わかりやすい授業はよい授業なのか?
昔の先生はいろいろなことを知っていて,知恵もあってすごいなと感じることがあります。
教員が勉学に向き合うことを時代が許してくれたというのもありますが,難しいことに時間をかけて向き合ってきた証だと思います。
生徒にも同じことが言えます。
ICT教育がどんなに進んでも,頭脳に直接チップを埋め込むようなことでもない限り,最後は繰り返しの復習,地道な学習が絶対に必要になります。
この地道な学習をしない生徒に,わかりやすい授業をするのは非常に難しくなります。
特に受験がからむとなおさらです。
生徒に理解してもらうにはレベルを下げるしかありません。
学習者のレベルに合わせていては,客観的に必要な学力を身につけることができません。
もちろん,教員側もできるだけシンプルに物事を説明することが求められます。
しかし,良い説明なのか悪い説明なのかは素人目に判断できないはずです。
勉強にあまり向き合わない人たちは「自分がわかる説明は良い説明」と判断してしまうことがあります。




教育者側は届きそうで届かなそうな,絶妙なレベル設定が腕の見せ所といえるでしょう。
この辺りは向き合っている生徒の学力,性格に左右されるので,マニュアル化するのが難しいです。
普段の様子を観察しながら,説明の方法,答えの出し方・タイミングを試行錯誤します。
生徒の観察については下の記事でも紹介しました。
契約書,取扱説明書,本,会議資料など,大人になっても文章を読んで理解する場面はいくつもあります。
そんな中,「分かりづらい!!」と不満を漏らす大人もいます。果たしてそれは文章を書いた側に問題があるのでしょうか。
大多数の人が理解できないこと,子供のころに勉強をきちんとしてきた人が理解できないことは文章を書いた側に問題があるでしょう。
一方,自分だけが分かっていない文章,子供のころに勉強をきちんとしていない人が分からない文章は,読み手側の能力にも問題があります。
日本は表面的に親切すぎる文化があります。
実際には勉強をしないと生きづらいはずなのに,気づきにくい世の中になっているなと感じる節はあります。
質問をしたら答えてくれるのが当たり前?
最近は質問をしたら答えてくれるのが当たり前な世の中になっています。
不親切な人は悪人というレッテルが貼られがちです。
本来は善人なのか悪人なのかはわかりません。
学校の先生は質問をしたらなんでも対応してくれるという印象を持たれます。
気になるのは,ICT教育の普及で夜中に次の日の授業や学校行事についての質問を送ってくる生徒がいるということです。
質問したらすぐに答えてもらえる世の中になった弊害だと感じています。
教員側も疲弊してしまうので,例え翌日の学校生活に関わることでもメールを見ない,アプリを開かない対応をした方がいいのかもしれません。


面談は時間を決めて行う
最近は共働きの家庭が普通で,夕方以降でないと三者面談ができないということもあります。
不思議に思うのは,銀行,区役所,その他のお店は営業時間が決まっているのに,学校の営業時間は決めないのでしょうか。
上席の教員に聞いてもまともな答えは返ってきません。
だって,「自主的な勤務」にしたいからです。
多少の時間外勤務なら良いかもしれませんが,無理をするとそれを生徒保護者は当たり前に思うので,線引きはしておきましょう。
どんな時には親切にすべきか。
生命にかかわる緊急事態
これは言うまでもありません。
極端な話,自殺を考えたりしている人はまず命を繋ぎ止めることが最優先です。
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学校に登校できないなど社会生活を送ることが難しい場合
時間の許す限り寄り添って少しでも前向きになるように話を聞いてあげるのが良いでしょう。
ただ私生活を犠牲にして寄り添うのも現実的ではありません。
よく聞く話は,最初に今日話ができる時間を決めておく,次に話に来てもらう日の約束をするなどがあげられます。
障がい者の対応をするときによく使われる言葉ですが,自分は障がい者に限らず当てはまると思っています。
「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」と定義されている。
障害者の権利に関する条約 本引用は文部科学省ウェブページから
障がいがあると医師から診断を受けた生徒や,正式な診断は受けていなくてもおそらく障がいがあるのではと思われる生徒と接したことがあります。
医学的見地がない人間からすれば, 障がいなのか,個性(性格)なのか違いが判りません。
障がいの有無に限らず,「できる範囲でのフォロー」というのが基本的な向き合い方なのかなと思っています。
生徒が自分で勉強をしたうえでわからない場合の質問対応
先ほど,わかりやすい授業が必ずしも良い授業とは限らない,という話をしました。
ただ,適切な努力をしているにもかかわらず分からないことがあれば,対応しても良いのではと思います。
英語の場合,知らない単語は全て調べ上げた後の質問なのかなど,こちらから生徒の取り組みを聞けば努力の有無はすぐにわかります。
意地悪と思われるかもしれませんが,生徒側がきちんと準備をしていないにもかかわらず,いい先生を演じていては生徒は延々と甘えてきます。
途中から,質問をしたいから先生のところに行くのではなく,先生とおしゃべりしたいから先生のところに行くようになるのです。
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まとめ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
親切な人がいい先生とは限りません。
職業人として良くも悪くも教員の仕事をこなしていけるといいですね。
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